最近は不況不況といわれていますが、よく「バブルの時代はよかった」とか「バブルさえ崩壊しなければ…」みたいな声を聞きますよね。
景気がよかった時代があって、それがダメになったということは何となく知っていても、どういう理由で景気がよくなり、どういう理由で景気が悪くなったのかについてはまでは、あまり話されないですよね。
今回は少しややこしい話ですが、「バブル景気」についてできるだけ簡単に解説しようと思っていたのですが思ったよりも長くなってしまいました。
お時間のある方や興味のある方は読んでいただけると幸いです。
ねぇ、つぐまさん
バブルって何?
バブルっていうのは正確にはバブル景気といって日本がものすごく景気がよかった時代のことだよ
今は景気がよくないっていわれてるよね
どうして、景気が悪くなっちゃったの?
それを知るために、まずバブル景気についてから調べてみようか
バブル景気への入り口
アメリカの大不況
バブル景気の話に入る前に、まず説明しないといけないのがアメリカの不景気についてです。
1973年に多くの石油を産出していた中東で「第4次中東戦争」が起こったことで、石油の価格が高騰しました(オイルショック)。
石油の価格があがると、ガソリン代や燃料代があがります。
燃料代があがると工場の生産が低下します。
すると、物がなくなるという不安から生活用品を含めた値段があがることになります。
しかし、なんとそのタイミングでアメリカは不景気になってしまいました。
基本的に景気が悪くなると物が売れなくなります。
すると物の値段は下がりますよね。
しかし、このときのアメリカは景気が悪くなっているにも関わらず、物の値段はあがる(スタグフレーションといいます)という危機的な状況に陥ってしまいました。
一時期の日本もそうでしたが、景気が悪くなると企業にお金がなくなるので仕事がなくなります。
そうすると働けなくなります。
その状況で日用品の値段があがるなんて想像するだけでもぞっとしますよね。
この状況を危険に感じたアメリカは、物価の上昇を止めることを決意します。
そこでとった政策が、通貨量のコントロールによる金利の大幅な上昇でした。
金利を上げると、上げた国の通貨の人気がでます。
するとその通貨はたくさん買われることになります。
今回はアメリカドルの金利があがったため、「円安ドル高」という状態になりました。
円の価値が下がり、ドルの価値が上がったことで物価の上昇は少しずつ収まってきました。
しかし、今度は輸出業に影響がでます。
金利の上げ過ぎは、ドルの価値を上げすぎることになりました。
日本の商品はアメリカですごく売れるようになり、逆にアメリカの商品(特に車)は日本で売れなくなりました(このあたりの解説は「円高ドル安、円安ドル高とは」のページに載せています)。
なんと4年で2000億ドル近い赤字がでるほどでした。
アメリカは、この貿易の不均衡をなくすために1985年、日本やイギリス、西ドイツ、フランスに対して「ドル安」を進めるためにドルを売るように要求をしてきました。
それに対して各国は合意しました。
この会議がニューヨークのプラザホテルで行われたことにより「プラザ合意」と呼ばれることになります。
これにより1ドル240円近かったものが、たった1年で1ドル150円台まで円高が進むことになります。
強烈な円高によるその後
100円近い円高により、海外の製品をかなり安く購入できるようになりました。
しかし、海外製品が日本で売れる反面、今度は日本の製品が海外に売れなくなってしまったのです。
当然です、海外の人たちから見れば同じ日本の製品の値段が1年で1.5倍近くになってしまったようなものですからね。
日本の製造業にダメージが出始めた1986年、日本の政府(大蔵省)は日本銀行に「公定歩合」の引き下げを指示します。(金融緩和)
「日本銀行」は簡単にいうと銀行の銀行といわれています。
企業や個人は地方の銀行からお金を借りて、会社を運営したり企業したりしますよね。
では地方の銀行はどこからお金を借りるのでしょうか?
そうです、お察しの通り地方の銀行は「日本銀行」からお金を借りるのです。その貸し付けの際の金利を「公定歩合」とよびます。
そのため、公定歩合が上がると、地方の銀行も貸し付けの際の金利が上がりますし、公定歩合が下がると逆に金利が下がります。
貸し付け金利があがると、企業や個人はお金を借りにくくなりますので、通貨の流通量が減りますし、金利が下がるとその逆です。
「日本銀行」は「公定歩合」の上げ下げで、日本の通貨量をある程度コントロールすることができるのです。
「公定歩合」を引き下げることによって、企業や個人は銀行からお金を借りやすくなりそのお金を使います。
すると、世間にお金が回るようになるので景気がよくなり、物価が上昇するだろうと考えられているからです。
しかし、このときは少し違いました。
たまたまこの時期と同じくして、高騰していた原油の価格が下がってきており、強烈な円高もあいまって通常は上昇するはずの物価がほとんど上昇することがなかったのです。
景気がよくなりはじめても物価があがらない、すると世間にお金が余り始めます。
企業はその余ってきたお金を新たな設備投資に使ったり、新しく工場を建てることに使いました。
新しく工場を建てるためには土地が必要です。
その当時、日本には「土地神話」と言われる土地の値段は下がることがないという今考えると恐ろしい考えが当たり前にように浸透していました。
そのため、企業や個人はこぞって土地を購入しました。
さらに、余ったお金は投資に使われるようになります。
土地と共に株も大量に購入されるようになりました。
1985年から1986年にかけて、「日経平均株価」といわれる日本の主要企業の平均株価がなんと1年で約40%も上昇することになったのです。
う、難しい
たしかに、色んな経緯がありすぎて少し複雑だよね
ものすごーく簡単にいうと、アメリカの景気が悪くなったから他の国からドルを買ってもらったら、今度は日本が不景気になっちゃった
金利を下げて景気をよくしよう!そうしたら景気はよくなってきたけど、お金があまってきちゃった
じゃあ土地とか株買おう! という感じだよ
アメリカとか日本の景気は政府によって決められている感じがするね
今でもある程度は調整しているけど、この当時のほうがその傾向が強かったように感じるよね
ルーブル合意とブラックマンデー
「プラザ合意」により、他の国からドルをたくさん売ってもらってドルの価値は一気に下がりました。
そこまではアメリカの考え通りだったのですが、ドルが安くなっても貿易赤字は一向に解消されません。
その上、日本やドイツは通貨が高くなっているので不況が深刻化しはじめます。
世界的に景気が悪くなりはじめている危険性を主要国は感じ、今度は行き過ぎたドル安に歯止めをかけるために1987年、「これ以上ドルが安くならないようにしようね」という新しい合意をG7という主要7か国の会議で決定します。
その会議がルーブル宮殿で行われたために「ルーブル合意」といわれています。
「ルーブル合意」はドルに対して価値があがってきてる国は金利を下げるか、これ以上は上げないという内容でした。日本は景気悪化によりもともと金利を下げていましたが、さらに金利を引き下げることになります。
しかし、今回の合意に対して西ドイツは国内の物価上昇を懸念して金利を上げる方向に進めてしまいました。
すると、世間は国レベルでの協調がうまくいっていないという不安から株の値下がりの危険性を感じ手放し始めます。
それが負の連鎖となり1987年10月19日の月曜日に「ブラックマンデー」と呼ばれる史上最悪の株の大暴落が発生します。
この大暴落は世界規模で発生しました。
株が下がると景気が悪くなり、企業がつぶれてしまいます。
日本の政府は企業がつぶれてしまわないように金利の引き下げを行い続けることになりました。
この政策が「バブル」の幕開けを後押しをすることになってしまうのです。
バブル時代の幕開け
金利を引き下げる金融緩和等、政府の働きかけで、ブラックマンデーで日本も一時は株価を下げたものの、他の国と比べて安定した株価を維持することに成功しました。
財テクブーム
政府は株価の維持のために株や不動産を売ってでた差益の税金を低く抑える制度を作りました。
証券会社も、企業にとって余ったお金を運用すれば儲かる仕組みを提供しました。
すると、企業は実際の業務以外の株や不動産の投資の収益が軒並み増えていくことになりました。
それを、「財務のハイテク化」=「財テク」と呼びます。
本業以外で儲かったお金は、本業で必要な設備の投資にも使ったために、企業の実績はあがることになります。結果さらに景気が良くなります。
しかも、同じ時期にアメリカによる圧力で日本の規制を取り払い、日本国内だけでなく、海外からも資金が調達できるようになりました。
「財テク」は企業にとって絶対に儲かる仕組みになりつつあったため、儲けるための元手を企業は日本国内だけでなく、海外からも集め始めたのです。
当時、日本の株は急速に値上がりをしていました。
企業が海外からお金を借りる時にも、その日本株の値上がりをうまく利用し、どんどんお金を借り、それを資産の運用に回すことでさらに利益がでるという、資産が増え続ける仕組みが出来上がっていました。
利益がでると、資産の運用にも回しますが設備にも投資されます。
すると日本の企業の業績はどんどんよくなり景気は上がります。
日本中の人が儲かって、お金をどんどん使うようなりました。
バブル時代の幕開けです。
バブル中の日本
バブル中の日本は、企業も個人もかなりお金が儲かっていたため、今考えるとありえないことが当たり前のように行われていました。
- 1億円以上するマンションが飛ぶようにうれた
- 企業の業績が上がることによる慢性的な人手不足で、青田買いといわれる、新卒者の囲い込みが当たり前のように行われていた
- 定期預金が10年で元本の倍以上なるという超高金利
- 有名な絵画や美術品が何億、何十億という金額で日本人が購入する
- アメリカの有名な資産を日本の企業が次々に買収
これだけでみても、どれだけ異常だったのかがよくわかりますよね。
その好景気の根底にあったものが、政府による株価の維持工作なのです。
ブラックマンデーのような大暴落が起こっても日本の株は政府が支えてくれる。
そう考えた投資家は「あんなことがあっても国が支えてくれたんだ!日本の株を買えば、下がらないんだから絶対儲かるに決まってる!」と思います。
その安心感により、1989年にはなんと3万8915円88銭というものすごい高値を付けることになります。(2019年3月24日現在は21627円34銭)
この時期にはついに日本の豊かさはアメリカを抜いて世界で1番になります。
土地とともに上がり続けた株価、誰もがこの景気が続くと思っていました。
すごい時代だったんだね
今じゃ想像もできないや
悪くいってしまうと、好景気に次ぐ好景気で日本中が浮かれてしまっていた時代でもあるんだよ
でも今はそうじゃないってことは続かなかったんだよね?
うん、ある一人の人物によりバブルと呼ばれる好景気は泡がはじけるように崩壊することになるんだ
バブルの崩壊
1989年、ある人物が日本銀行の総裁に就任します。
バブルの異常な好景気を止めることになった三重野さんという人物です。
この人は、バブルによって土地が高くなりすぎ普通のサラリーマンでは家を買うことができなくなっていることを懸念していました。
ついに日本銀行はこの異常な事態を収束させるために「公定歩合」を引き上げることにしました。
最初のうちは効果がなかったものの1990年の1月には株価が大きく下落することになります。
さらに大蔵省も不動産の金額の高騰を止めようと、銀行に対して不動産購入のための融資を規制しました。
それでもなかなか下がらない土地の価格に対して、公定歩合をどんどん上げていきます。公定歩合があがると銀行の金利もあがります。
すると株を持っているよりも銀行に預けたほうが利率がいいじゃないかと考え始め、株を買わなくなります。
大蔵省は色々と対策を取りますが効果がでず、その結果1992年には1万4309円41銭まで下がります。同じく不動産の価格もピーク時に比べると60%近く下落しました。
この下落により、銀行の経営状態も悪くなります。
すると不動産投資をしていた企業に対して突然お金を返すように要求するようになりました。
不動産や株価の上昇を見込んでお金を借りていた企業は、そのお金を返す手段がなくなり、持っている資産を手放しても市場価格は下がっているため借金を返しきれず、中小企業はどんどん倒産していくことになりました。
そして、借金を回収しきれない銀行も破綻することとなりました。
こうして異常な「バブル景気」は崩壊することになりました。
変に規制をかけたりせずに、好景気を続けていたらよかったのにって思っちゃうんだけど
少しずつよくなっていく通常の好景気ならいいのかもしれないけど、異常な事態だったからね
それに、景気は上がった分だけ反動で落ちるものなんだよ
経済って難しいね
まとめ
- オイルショックや貿易赤字によるアメリカの不景気の是正のため「プラザ合意」と呼ばれるドルの価値を下げる合意が結ばれる
- 日本の輸出業のダメージを抑えるため、「公定歩合」を引き下げるが物価が思ったよりもあがらなかったため、お金が余る自体に
- 余ったお金は、価値が下がらないと信じられていた土地や上昇を続けていた株に回されることになる→お金がお金を生む「財テク」の始まり
- 海外の資金も「財テク」に回すことで、日本の企業は異常なまでの成長を見せる→「バブルの幕開け」
- 1989年に就任した新たな日本銀行の総裁により、異常なバブル景気を収束させるため「公定歩合」が引き上げられる
- 株価、不動産が共に大暴落し借金を返せなくなった企業が倒産、その企業から借金を回収しきれなくなった銀行も破綻→「バブルの崩壊」
少し、長くなってしまいましたが今回はバブル景気とその崩壊について調べました。
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